2003年5月中旬、それは突然具体的になりました。 「ねぇ、Spurさん、石巻に行かない?」
「椿井さんと石巻に行って、ラジカセ持ってクリーニング店の駐車場で2〜3曲歌ってお礼をしたい。Spurさんも行かない?」 「う〜ん、岐阜県からは遠いな〜。でも、9月ならディスカウントチケットを使ってなんとか行けるかも?」 そんな会話が春頃に交わされました。 そして5月。「私にも手伝わせて」と言う清水さんの歌手仲間が1人、2人と増えていき、裏方を手伝っても良いという東京や横浜のボランティアも3人ほど出てきました。 (株)共栄クリーニングの安田さんに話しをすると、「じゃあ、すぐに会場を手配します。」との返事。 毎日新聞さんにも話しをし、「石巻に遊びに行かない?」との清水さんの誘いに、「行きます」と快い返事。 さらに、「毎日新聞がバックアップしますので今回は無料コンサートにしましょう。」 さぁ、大変。無料となると、収入が無いので、会場費や歌手の交通費をどうするかが大きな問題になります。 「会場は、町の公民館などの安いところを探しましょう。」ということになり、安田さんに、あちらこちらに交渉をしていただきました。 歌手の方からは、「いいわよ。交通費や宿泊費は自分で出すから。」と嬉しい返事。それでも手伝いたいという歌手がさらに2人、3人と増え、歌手は8人になり、ピアニストやボランティアを含めると、こちらから出かける総勢は16人にもなりました。
「新聞に出していただけるといいわね」 「じゃあ、新聞社への投げ込み記事を書きますから、安田さんお願いします。」 「わかりました。石巻日日新聞さんと、石巻かほくさん、河北新報社さんに話しをしてみます。」 「ラジオ石巻さんにも会って来ます。」 「おぉ、すごい、すご〜い」 という会話が交わされたのは7月に入った頃です。 あっという間に話しはどんどん大きくなって行きます。
そして、いよいよ出発。 清水さんは1日早く、5日に出発し、他の歌手や我々ボランティアが出発する6日は、ラジオ石巻さんへの出演と、石巻日日新聞さんへの表敬訪問です。 石巻日日新聞さんには6日のコラムにも掲載していただきました。感謝とともに、石巻の方の期待の大きさがうかがえます。 現地の清水さんから「朝夕は東京より寒いわよ。上着を持っていらっしゃい」と出演者やボラティアの1人ひとりに気づかいの電話や電子メールをいただきました。
本番当日 9時からしかセンターが開かないのに、20分も前から現地スタッフが集合し、今や遅しと扉が開くのを待っています。 扉を開いていただき、慌しく準備が始まります。 舞台作り、客席作り、受付作りなどと平行して、音響や照明のセッティングをセンターの方に2人お手伝いいただき、すべてボランティアの素人が行うので大変な騒ぎです。 予定はずれ込み、リハーサルの時間まで食い込み、それでも何とか無事に準備とリハーサルを終了。 開場前にすでにお客様は300人近く待っています。 さぁ、いよいよ開場です。うまく受付がさばけるか?緊張の一瞬 成功です。500人の会場は、ほぼ満席になり、開場30分で受付処理も終わりました。
「がんの子供を守る会」の近藤理事も大喜びで、「石巻の人は温かですね〜」と言われていました。 終演後 感動に包まれたコンサートも終演し、出演者を囲んで”打ち上げ”が開かれました。 会費制ですが、お手伝いいただいた現地スタッフも全員出席していただき、「あそこは、こうすれば良かった」とか「もっと、こうすれば良かったね」などの反省も声もありましたが、大役を果たした安心感もあり和やかな打ち上げになりました。 「ぜひ、もう一度やりましょう」と心強い発言もあり、疲れがふっとぶひと時でした。 この打ち上げ会場も、イタリアンレストラン「MOON DISH CAFE」さんに、休業日にもかかわらず、貸切でしかも格安料金で提供いただきました。
その後、9月9日には石巻日日新聞さん、11日には石巻かほくさんが再度新聞記事にしていただけ、反響の大きさをうかがえます。 石巻日日新聞さん、石巻かほくさん、ラジオ石巻さん、大変お世話になりました。 (株)共栄クリーニング、河北町福祉作業所かしわホーム、ホテル・マイルーム石巻、守る会仙台支部、その他たくさんのお手伝い頂いた方々に感謝しています。 スタッフおよび出演者一同は、熱の冷めないうちにもう一度宮城公演をやりたいと願っています。 当日の募金は19万円を越す金額が集まり、石巻の皆様の暖かい心の表れかと思います。 この募金は、毎日新聞社東京社会事業団に寄付し、がんのお子様達の為に使われます。 また、たくさんの地元企業さんから協賛品や協賛金をいただきましたので、協賛品はコンサート当日の抽選会賞品に、協賛金は一部を運営費として活用させていただき、石巻市の社会福祉に寄付させていただきました。 清水康子さんのサイトへ |